今日は、いじめ問題を考える集まりに参加してきました。

学校や友達からいじめを受けた子どもたちが、自ら相談してくれる土台を作りたいと思ってます。会がその受け皿になれると良いです。

話は変わりますが、

先日、社会福祉士会の研修に出た時に

「加害者ケア」の話をした方がおられました。

私も同じようなことを以前から考えていました。

子供の世界のいじめの加害者も、大人社会のハラスメントの加害者も似たような思考だと思います。

大きな劣等感の裏返しだったり、

自分が考える自分の大きさよりも、自分の力を発揮できないと言ったもどかしさがあったりするんだと思いますが、

「自分の強さを正当に発揮できない。」

この一言に尽きると思います。

3年ほど前になりますが、

双方向通行可ではあるものの、1台しか侵入できないクランクで、私が先に入ったのにも関わらず、酷い幅寄せを受けて、怒鳴られて、何分も動けなかったことがあります。

今朝は、とんでもないあおり運転を受けました。

後ろの車が変に蛇行してるなと思ったら、クラクションを鳴らされて、接近されて非常にイヤな思いをしました。制限速度でテレテレ走ってたのがイヤだったのでしょうね。

加害者は、自分のイラ立ちを、被害者から見て欲しいのでしょう。

私生活で誰からも見てもらえなかった寂しさを、

弱いものを自ら設定した上で、その者に見せたいのでしょう。

昔はお寺がそういう、加害者になりそうな人のケアをするという役目を持っていましたよね。

ある本の中では、現在ではそのような「家族ではないが家族的な役目」を反社会的な集団や信仰宗教が担っていると言っていました。

その2つだけではないとは思いますが、

分かりやすい例えだと思ってます。

加害者ケアを続けることで被害者をなくすという視点は、なかなか理に適ってると思います。

即効性の面では、

加害者ケアという名目で、教室以外で特別メニューを受けさせるという、それくらい思い切った対策ってできないものでしょうかね。

すぐに答えが出る問題ではなさそうですが、

いじめ問題を考えている、その方向には進んでいきたいと思います。