地震などの天災の場合、たくさんの、物や人という固定的なモノに対する被害が出ます。

天災により他人のものが壊れる時に、多くの人は同情を寄せ、憐れみ、共に悲しむものだということが、経験的に分かりました。

その憐憫は美しく見えて、かつ、人々に生きる望みを与えたり、勇気をもらったりします。美しく伝染するのです。

これは人として素晴らしいことだと思っています。

対照的に、ウイルスの場合は、対岸の火事ではなく、自分の身も危ない。

こう言う時に人は、人々の態度は、とてもあからさまになるということが、経験的に分かりました。自らを守るために、感染した人を差別したり、中傷の手紙を送ったり張り紙をしたりしています。

私は、人の人間関係を分断することがウイルスの目的だと思っているので、この思惑に乗ってはいけないと思ってますが、

ウイルスの怖さというのは、人間の分断、文化の謝絶

そういうものだと思います。

ウイルスは宇宙空間から来たとも言われていて、未知のものです。

分からないものに対しては、対症療法をしながら、なるべく普段の精神的な連続性を途切れさせないことが必要かなと思っています。

非常時こそ、方向転換をするのではなく、精神的な連続性を保ちましょう。

そのためには、平常運転の時に、自分の中で方向性を定めておくこと、人生の歩むべき方向や方法をある程度決めておくことが必要なのではないかなと思います。