友人が何度も新聞社に市民としての意見を投稿していて、その姿が眩しいと思っています。

時には私と別の意見を持っていることもあります。

色んな考えがあることこそが自由な社会である。と思います。

もしも、「自分の意見だけが正しくて、従わせたい」

そういう人ばかりの社会になってしまったら

危ない。

私も同じですけれど、規格品ばかりに囲まれていると、規格からはみ出してしまった造形の美しさに気づくことができないのかもしれません。

自然に触れること、自由な芸術を作ること、病気の人のお世話、うちの子の0点のテスト

そういうものって共通性があるよねと、最近感じているのです。

それらのどれもが貴重で、ある意味でありがたい。

ワイドショーの、はみ出したものを叩く習慣にみんな染められちゃってるねと、薄ら寒い気持ちになります。

私たちの一つ一つの言動が寛容な社会を作ります。

誰もが明日病人になるかもしれないし、障害を負うかもしれない、気づかないことでバッシングされるかもしれないです。

自ら社会を窮屈にしたら、自分の首を締めてしまう。

ペイフォワード。

自ら人に寛容であれ。