昭和61年からのいじめの定義は、「1自分より弱い者に対して一方的に、2身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、3相手が深刻な苦痛を感じてい るものであって、学校としてその事実(関係児童生徒、いじめの内容等)を確認し ているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わないもの」

平成18年度からの定義は、「個々の行為が『いじめ』に当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。

と変遷しています。

私は昭和の人間なので、「弱いものいじめはいけない」と常々教えられてきました。つまり、自分よりも弱いと自分が認めた相手に大しては、批判したり無視したりしてはならないということです。しかしそれを裏返せば、自分が強いと認めた相手に対して、批判や、たとえ無視をしてもそれはいじめではない、ということだったわけです。

その考え方は時代の変遷とともに変わって来ています。絶対的に強い人間などいないと、社会的な理解が進んできました。

先日、プロレスラーの女性がネットでのいじめを苦に亡くなりました。

プロレスラーだから彼女が強いとでも思っていたのでしょうか?強い相手には何を言っても構わないと思っていたのでしょうか?

会ってもいない人なのに、その人の人格を否定できるのか、疑問です。

私は、自分の人生を生きようと思います。人のことを構っていられないくらい、自分のやることをがむしゃらにやりたいと思います。