何年か前は毎日、朝が来ることが苦痛で、「私は毎日何のために目覚めるのか」わかりませんでした。

暗いですけど。

でも、朝目覚めることができるのは幸せな方で、寝付けなくて暗い中でゴロゴロ起きてる日というのも頻繁にありました。

そんな翌日の日中は低空飛行で、痛いのか辛いのか、ぼんやりと辛さを受け流すような感じ。

出産から双子の育児、双子の病気と障害の中で、少しずつ、劣等感だとか役割の喪失だとかが大半を占めて、自分らしさだとかをなくしてしまっていたんだと思います。

私の場合の育児の辛さは、物質的なものよりも精神的なものだから、言葉で伝えにくくて、共感を得にくい。あれが欲しいと言えれば良いけれど、何が欲しいのか、自分でもよく分からない。なのになにかが足りないから、苦悶するのです。

そのために、また孤独に陥るという悪循環です。

私の場合は、その最も辛い時代は育児期間だったけど、置かれた立場は違っても、そういう思いを抱えている人はたくさんいると思います。

何かが必要だ。それが何かは今は分からない。

でも、それが必要なのは今なんです。

誰かが気付いて、その人の目の前に、その必要なものを差し出して欲しい。その、差し出す人の中に私も入れて欲しいと思ってます。

それが成功したときには、きっと日々の素晴らしさを感じられる日が来ると思います。

足りないものは、物質的なものではなくて、実は自分の心の中にあるもの。

それが満たされた時には、きっと素晴らしい日々が始まるはずです。