映画「月」の中で、
目が見えないとされていて、言葉を発しない、きいちゃんの視点が出てきます。
きいちゃんが、本当に見えていないのかどうかは誰にも分からないけど、施設では、きいちゃんは見えてない聞こえていないということになっています。
そのきいちゃんの視点て、これは受け手の想像だと思うんですよね。きいちゃんには世界はこう見えてるんじゃないかなと。
受け手の想像ってとっても大切だと思うんです。
赤ちゃんは泣きますけど、何を思ってるかわからないでしょ?それでも親は、こうしてあげたら嬉しいのかなと想像して、話しかけて、身体をさすって、抱っこします。
同じなんだと思うんですよね。
現在の後見制度では、意思決定の尊重がガイドラインで重要視されています。
被後見人が意思を表明できたとしたら、何を希望されるだろうかと言うことを、会議で決めなさいということになっています。今のところこの会議は強制ではありませんが、私はできるだけやりたいと思っています。
そりゃ事務所の経営だとか生産性だとか言われたら非効率ですよ。と、…余計な話をしてしまいましたが。
この会議って、想像力が必要なんです。
この人の人生史を聞いて、人物像を聞いて、パズルのピース集めをした上で想像するんです。
これを会議で話し合います。
誰が正しいことを言ってるのか、それが間違いかも分かりませんが、それでも話し合って、何が最もその方に相応しい方法かを決めるんです。
それはまるで親が赤ちゃんの気持ちを想像することに似てるなと感じるんです。
そこに生産性や機能性という考え方など、含める余地もないのです。
それでもやるのです。
一人の人間として、インクルーシブを理念として追求していきたいと思っています。