出産についてあれこれ言うと、結構色んなところで炎上するようですね。
その度に言葉狩りとか、イジメの構図とか、表現の自由とか、色んなこと考えますが、それはまたいつか書くとして、今日は別の視点から書きます。
実はこの内容は私が匿名ブログ記事にも書いたのと同じです。ご存知の方は「あー、あれか」と読み飛ばしてください。
生まれたばかりの赤ちゃんを捨てる人がいます。
捨ててしまったお母さんは、せっかくの「産む能力」に蓋をしてしまって、「産む能力」があったことを隠してしまった。
生まれて育った小さな子供を虐待などして、殺してしまうお母さんもいます。
この人たちの能力は「子供を産むことまで」だったんだと思います。
だから、「育てること」は人に託すべきだったと思います。
産まれたばかりの赤ちゃんは
握りしめた拳を口に入れ、
いつか指があることに気づき、
その指がそれぞれ動くことに気づいていきます。
これを「分化」と言うそうです。
学童期になれば、
いつしか末端にまで神経が行き届き、
ピアノを弾いたり、文字を書いたり、それぞれの指を器用に動かせるようになります。
社会もそれと同じで、
それぞれの役目を認めて、それぞれがそれぞれの長所やらそれぞれの持ち味やらで、それぞれに長けたことをやって差し支えないと思うのです。
私の親指が「てこの原理」の支点であるとか、
私の人差し指が左右を確認するときに使いやすいとか、
私の中指が実はスイッチを押しやすいとか、
私の薬指が指輪をしやすいとか、
私の小指がもみあげの髪の毛を耳にかけやすいとか。
あなたの親指の使い道とはまた違うと思うし、
あなたの人差し指の使い道とはまた違うと思う。
社会は分化していくのです。
産まれたばかりの赤ちゃんが、握りしめた拳を解いて、5本の指を器用に、バラバラに扱えるように。
子供を産む能力のある人が、
子供を育てる能力のある人ではないかもしれない。
子供を育てる能力のある人が、
子供を産む能力のある人でないかもしれない。
これは人類の、社会の分化だと思います。
それぞれがそれぞれの長所を活かす。
そして、それを認める。
こういうことって、実は意識しないと、流されて忘れてしまうことかもしれません。
私自身も、気をつけようと思います。